法律的に問題がなくとも倫理的に問題だろう!!!という炎上が目につきます。
企業として反省すべきポイントは有ると思うのですがこと個人に焦点を当てた場合、思うことは2つ。1つは「契約をどこまで順守するのか」もう1つは「どこまで消費者に擦り寄る事を”是とするのか”」が自分や自分の家族、ないし自社のスタッフに伝えるべき事かな、と思いました。
1つ目のポイントは倫理的に問題だ!という論調で炎上している件について、むしろ個人側に対して大きな警鐘を鳴らすべき事だと考えます。理由は「この国は法治国家で、違法でないかぎり(法律は不可逆なので、ある時点で違法でないのであれば大きく裁判で闘ったりしないかぎり適法であればその契約が覆ることはない、もしくは非常に大きな労力が必要)契約という物を結んでしまったら支払い等の義務が生じる。どんなに自分の感覚とは違っても。だから契約はきちんと考えないといけないし、自己責任、と言う言葉は非常に重い。」という事を理解しておくべきだな、と思うので。
仮に契約締結自体が「無効」となるような状況(心神喪失など)であればそれはそれで戦うべき事であり(この場合、双方共に契約自体は有効だと認めているが、問題はサイン・印を押した人の問題)そもそも減額の対象にすらならない(ただし、裁判で戦って勝てれば、全額減免もありうる)という事案のはず。成人した大人であれば、契約は契約である、という事の大前提をしっかり認識しないと、今回は何らか覆ったとしても、次回はもっと大きな問題になってしまいます。(マスで数百万人が契約していて、多くの人が条項を知らなかったアメリカ放題問題は電波免許の問題込で告知義務違反だとは思いますが、それすら本来法律論だと思います。)
2点目はもう少し先の影響まで考えた話で、人によってそれぞれ違う(今後仮に移民などが認められてくれば更に多様化する)”倫理観”に合わせた経営=全体の縮小均衡に繋がる。と思うのです。炎上が怖い”から”ボランティア・サービスを多くする。炎上が怖い”から”サービスを尖ったものにしない。炎上が怖い”から”細大漏らさない契約内容やサービス内容を練り上げる、、、と利益や付加価値の源泉がどんどん「労働時間」に置き換わります。AIや機械化でサービスや倫理観の機微が解るなら別ですが、今のところそうでも無さそうなので、要はいろんなリスクや誰かの思いへの「保険」を沢山かける事になります。適法なのに。
結果として、当然ながら企業の利益は減り、利益水準の低い企業ではなかなか給与水準も上がらず、給与が低ければ消費も生まれません。大雑把な話ですが、過剰サービス、過剰倫理感を「やめる」事を日本のコンセンサスにする、もしくは少なくとも「これ以上は過剰だよね」というコンセンサスが見えやすくなることで、もう少し日本全体に勢いが生まれると思うのは僕だけでしょうか。