AAAって言っていたよね、なぜ出来ない?という話をどうしてもしてしまいます。昔は「詰める」と言う言葉はどちらかと言うとマネージメントの一種だと思っていました。
最近様々なマネージメントを自分が体験する中で、一つの確信として「出来たのか、できなかったのか」にフォーカスを当て、なぜ出来ないか。にフォーカスを「一切当てない」と言う事が正しい、と思うようになっています。
その瞬間には管理する側は(あくまで役割だけれど)「再発防止」となる気がしますが、結局根本原因は「能力値(本人の純粋能力×気持ち)」の問題で、起きた事象は「次もきっと起きる」です。更に言うと、その事象自体は何をどうしても変わらない(過去なので)ので、詰めるだけ本来は無駄です。唯一、それを発奮材料に部下側がしてくれれば良いのですが、基本的にはそういう育ち方をしている人が劇的に減っている気がします。
一方、次に再発を防止するために「どうするか」に焦点を当てると基本的には未来の話。双方の利害も「次に良くするために」になります。次達成するために何をするか。そこ「のみ」を話す。(評価は別です)というシンプルな事をやったほうが早い。そう思い始めています。ただ、その中で大事なことは
1.そもそも結果について合意が取れていたのか(◯・☓でわかるだけ明確な基準なのか)
2.免責させるような事になっていないか(XXさんが言ったのでやってはみたのですが・・・=上司の示唆が悪かったので失敗しました、と言う言い訳が成り立ってしまう)
この二つは常に確認しつつ。出来たか、できなかったか、にフォーカスを当て続けたいと思います。