他人のロジックで物事を進めるという事。

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●プロローグ

なんとまぁ、5か月以上ぶりのポスト。その間に、香港でプロジェクトがあったり、シンガポールプロジェクトの難易度にびっくりしたり、やっとやっと、自前の学校(と美容室、最近は美容室側の方が先に進んでいる事は内緒)をもってがんがんやっていたり、HQからのパートナーが1か月応援に来てくれて、ずいぶん助かったり、ベトナムでは某ライバル(と勝手に思っている)企業が政府からほぼ企業接収的な扱いを目の当たりにして、一旦ベトナムプロジェクトのペンディングを決めたり、香港やNYCで素敵なショーを見たり、直近では”Great but too BIG n HEAVY”とMeetingが終わった後即座に笑い合う様な案件が来たり、となかなか面白い毎日です。そんな中、きっと忘れないし、忘れてはいけない事をまとめておきたくて筆を執ってみる。

●自分のロジックで物事を進めるということ

いろんな国籍の人と関わり、かつ物事を外国で進めるようになって約2年、起業して丸4年が過ぎた今日この頃、本当に直近迄は「僕が思っている僕の論理が正しい」と言うのが基本スタンスでした。今迄それで生きて来たし、それが正しいと信じて居た。もちろん、他の人の意見は聞くのが前提だけど、その中で「(僕の)理論展開上正しい」という事が判断の基準だったように思います。まあ、日本だとそんなにコモンセンスが人によって違うってことが無かった(と思っていたから)あんまり違和感はなかった、もしくは究極の鈍感だったのでしょう。けれど海外でのビジネスをやるようになってそれがいかにまれな状況か、身にしみる事が多かったです。単純に思った結果が出ないのです。ただ、この頃は結果にフォーカスするのではなく、”やりたい事を、やりたいようにやっていた”状態だったんだな、と振り返って思います。

どんな国でも、どんな人でもロジックは通じる(と盲目的に信じていた)ので、こちらが「べき論」を話をしても全く刺さらない現状に、実は周りのスタッフは本当に大変な状況なんだったんだろうなぁ、と反省しきりです。特に中国のロジック外で展開されるいろんなお話や、 理論を飛び越えた感性系のお話は、全くと言っていいほど分からず、当初思っていた事、話をしていた事のギャップに戸惑っていながら「なんでこんな簡単な事が分からないんだろう」とさえ思っていました。

変えなくてはなぁ、と意識したのは「それで何を失ったか、考えろ」という兄さん(と呼びたいひと)の一言と”You don’t buy my heart”というスタッフの一言。 実はどっちも全然違う場面、タイミングで言われた物なのですが、結局一緒で、この2つの言葉で本当にこの1か月ほど、びっくりするほど会社の中身が変わっています。会社は社長の器迄しか成長しない、と何度も何度も聞いていた言葉でしたが、如何に器がちっちゃかったか、恥ずかしい限り、とともにまだまだ成長できる余地を見つけて、嬉しい限りだったりします。

経営をするって言う事は結果がすべて、What と Howを固定して、やりたいように得たい結果が出せる、というような甘い世界ではない、結果(What)を出す為のHowは柔軟に変えていかないと、WhatもHowも上手く行かない。「自分との戦いだよ」的な綺麗な話ではなく「どんな戦い方をしても勝たなくてはいけない」そんな事を思うようになりました。自分が自由にできるからこそ、何を失って、何を取るのか、冷静に考えて、自分のロジック「外」を見つけるのが僕の仕事なんだ、と。

日本や一部の国のような成熟したマーケット以外で理論や過程が理路整然としている、なんて事はあまり期待してはいけなくて(少なくとも某G社とか某M社みたいな、エスタブリッシュ向けのビジネスをやっていないのであれば。やっていても最後は政府などなどロジック以外の事の方が多かったりするのでしょうが。)ぐちゃぐちゃした中から、その状況なりの道筋をつけて、常に何をえて、何を買って、何を捨てて、そして最後にみんなで勝つか。こだわらなくてはいけないんだ、と大きなマインドチェンジが有ったのです。

●結局人は、自分が思ったようにしか動かない。

上で書いたロジック「外」始めは何にせよきつかったです。レーダー壊れてるみたいなもんですからね、勘が全然効かない。まあ「あんたの感覚狂ってるよ」って言われる事ほどきつい事は無いのと一緒です。歩く事すら厳しいってな感じでした。ただ、その感覚になれてくると、やっと少し一人歩きができるようになってきました。漠然としたイメージが最近少しずつ形になっています。僕が親近感を持つイメージで行くと「新米の指揮者@ベルリンフィル」

所詮僕はバイオリンを奏でる事も、ピアノを弾く事も、歌う事もできないけれど、やりたい事があって、届けたい物が有る、そのレベルもある程度定まっている、で、あれば周囲の力をどう使うか、に注力すべきなんだ、と。どんなに弾き方を知っている、と思っても僕はプロのようにピアノは弾けないし、自分の言葉で「そこのフレーズはいい感じにお願い」とオーダーを出すよりも、世界一流のピアニストに「この雰囲気だとどういう感じにやると一番良いかなぁ」と聞いてしまう。ピアニストとバイオリンとベースに聞いたら、とりあえず方向性は分かるかもしれないし、自分が思っていた事とのギャップに少なくとも気づく事ができる。その後の判断でも遅く無いんだ、むしろ出し戻しが無い分、早いんだ、と思えるようになったのです。

全員が「この目標(例えば良い音楽)を届ける」って思っている+それができると思って(プレーヤーを)選んでいるなら、演奏家が思う事を最大限発揮してもらうのがまずは優先だ、と。結局チームやパートナーのニーズ、やりたい事を聞き出せているか、聞き出せていないか、がすべてなんだと思うようになりました。その上で本当にそのメンバーの能力でできないのであればその人を切る事迄自分で責任を持つのが指揮者の責任だ。と腹落ちしたのです。届けたい物にはこだわるけど、やり方は全部、こだわりを捨ててスタッフとパートナーに任せる。その中でのいろんな不具合は全部自分で引き受ける。イメージ、清濁濁濁濁濁濁濁濁濁濁濁濁濁併せ呑む、てな感じでしょうか。この度量が必要だな、と覚悟を新たにした次第。

尊敬する元上司から「お前の状況判断”だけ”は始めから一人前だった(けど来たボールは打てないなぁからバカ売れは無いなぁ。)」と言われた事が今は励みになっています。聞けさえすれば、あとはきっちりジャッジできるはずなので。

他人のロジックで物事を進めるという事。これを核にして、少し生きてみます。 さてさて、これが半年、1年後、どう変わっていくかなぁ。

明日は急遽一週間前に「ごめん9月からこのマンション、オーナー変わるから出て行って」と言われたので引っ越し。まあ、色々有りますが、生きています。さて、9月、早いもんで後3か月で1年が終わってしまいます。がんばりますかー。