才能がない、と諦める。

昨年末ぐらいから「起こっていることは全て正しい。」「今できていないことは、少なくともそれをやるだけの能力がない」ということを割と割り切るようになりました。ひとことで言うと「才能がないことを認める」ということを一旦自分で納得できた。と言うところでしょうか。

これだけ書いてしまうとネガティブです。ただ、伝えたい事はそうではなく。「何事も努力なしではできないし、いま、できるだけの能力を持っていないと認識するから”こそ”取りうる手立てがある」という風に思うようにした、というのが真意です。やりたいこと、やらねばならないことを諦める気はさらさらありません。ただ、才能や今持っている力に頼ってはできないことを認めて、”どうするか”に思考の焦点を合わせる。そういう風に決めました。


才能がない”から”教えてもらい、才能がない”から”ヒトに頼る。努力をする。長い時間を掛ける。集中してバッサリできない所を切り捨てて新しいやり方を考える。そんなことを考えながらやりたいことができた時、一つ階段が登れるのかな?と思ったりしています。自分の今と未来を過信しない(金融的には割引率を高く見積もり過ぎない。=未来に自分がすごくなる、ということを前提に考えない)という所でしょうか。

繰り返しですが、Whatの部分、何をやるか、は諦める気はさらさらありません。How(Many,Much,Long)の部分を諦める。目的・ゴールは諦めないけれど、手段を柔軟に。かつ、自分たちができないと思っているからこそ取りうる手段を頭を使って考える。という風に考え方を変えた。という感じです。さて、これがうまくいくのか、ただただ縮小均衡になってしまうのか。試されてる感じでドキドキします。年始っぽい。